ピンボケ標本室

徒然なるままに鉱物写真

設楽原古戦場

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去年の秋ですが、台風が接近する中思い切って長篠の戦のあった設楽が原に行って来ました。雨に備えて傘を持って行ったのですが、とてもいい天気で農作業をしている方も多くて、本当にここで織田徳川連合軍と武田軍の壮絶な合戦があったとは思えない長閑な雰囲気。映画等の影響で馬が走り回れる広い草原をイメージしていましたが、幅が200メートル程の谷で意外と狭く中央に連吾川が流れています。当時は小川でぬかるみの様だったと考えられるので小川が堀の役目をし、馬防柵で守られた陣地を攻撃するのだから城攻めに近い。初めて鉄砲の大量使用で戦い方を変えた戦と言われていましたが、発見された弾が意外と少ないなどにより今迄の通説は見直されて来ています。集団で突撃して来る騎馬武者を鉄砲で一斉射撃ではなかったようで、今では武田の騎馬隊と鉄砲の三段撃ちも否定されつつあります。たとえ上官の命令でもこんな無謀な攻撃に加わりたくない。死にたくて死ぬ者などいない、ここが死に場所と覚悟を決め、死んでいった武田武士の心中を察すると心が痛みます。慰霊碑や墓などにまだ新しい花がそえらえていたので、最近誰か慰霊にこられたのでしょう。一番下の写真は首洗いの池で、討ち取った敵兵の首を洗い血で赤く染まったと言う。人は何処までも残酷になれるものです。私は平和な時代に生まれてよかったと思いながらも、人の生き様死に様に惹かれるのです。